相田紳太郎blog

ご訪問いただきありがとうございます!司法書士の本音トークです。

やってみて気付くこと ADHD治療薬を飲んで感じたこと

みなさんこんにちは。

本日も見てくれて、ありがとうございます。

 

さて、前回の記事でも書いた通りADHDの診断を受けてきたわけです。

stardio-aida.hatenablog.com

 

少し間が空いてしまいましたが、

今日はその続きをお話しましょう。

 

このテーマはやはり見て下さっている方が意外と居るようで、

友人から問い合わせを頂いたりしてむしろこちらの励みになりました。

 

ただ、自分が調べたときにも余り体験者の情報が無かったため、

人の役に立つならと赤裸なことも隠さずに発信しようと考えています。

 

それに人生に起こることは全部ネタだと思っている(妻ゆずり)ので、

定期的に発信していきますね。

 

なぜADHDの確定診断を受けたのか

現在ADHDには治療薬があります。

根治はしないけれど、飲んでいる間は混乱がマシになるというものです。

 

自分の特性は直るものじゃないと諦めていた中、そんなものがあるのかと知り

 

マジで!?どうやったら飲めるんや!!!

 

情報をかき集め、

どうやらコンサータが一番強いらしいぞ、と。

どうせなら強いやつを試してみよう、と。

 

どうせ診断を受けるなら、とことん自分を客観的に調べようと、

確定診断可能なクリニックを探して電話をかけまくりの日々。

(冗談じゃなく大人のADHD確定診断はめちゃくちゃ見つからない)。

 

どうにかこうにか3か月の月日をかけてようやく診断へ。

(ようやく手に入れた処方箋も期限を切らし、そこから2週間くらい後回しにしたのは良くある話)

 

コンサータを飲んでみて思うこと

満を持して、コンサータ服用開始。

 

初期の気持ち(1週間くらい)。

自分では何がどう変わったことで変化が起きているのかうまく理解できないけれど、とにかく確実に変わった。

原因を理解できないのに変化している、ものすごく不思議な感覚。

そして、薬を飲んで初めて自分で気づいていなかった欠陥を自覚。

 

・思考(視界)がクリアに(ギュって感じ)

・相手の言っていることの理解とリアクションまでの時間が短くなった

・咄嗟のひと言がすぐ出てくる

・物事に取り掛かるまでのタイムラグが無くなった

 やろう。と思うと同時に手が動くような感じ。

・忘れないようにしていなくても思い出せる

・モノをどうしまったら良いのかが直感的に分かる

 

楽しすぎて、うっきうきでした。

妻に、『ああで、こうで、こうなって~』と沢山しゃべり散らかしていました。

 

妻曰く(いろんなことが出来るようになった)

小学生みたい。

 

中間の気持ち(~2週間くらい)

・自分の魅力って単なる勘違いだったのでは?という自己肯定感の低下

・犬の散歩が楽しくないような(ぼんやり考え事が減ったから)?

 

実感。

服薬調整と感覚を馴らすこと、まじ大切。

 

 

世界が変わって驚いた。という感想

なんで上手く出来るようになったのかが(そもそも出来なかったという自覚がない)うまく理解できないため

飲んだら突然世界(の方)が変わった。そんな感覚も分かります。

 

 

さてさて、今後はどうなっていくのやら。

 

薬は補助的なものという気持ちと

バランスを失わないように。

 

それでは、ごきげんよう

 

相田紳太郎

ADHDの確定診断。ポンコツは皆に支えられて普通に生きていられるいう感謝と第2章の幕開け。

みなさん、こんにちは。

本日も見てくれて、ありがとうございます。

 

本日は、ADHD(混合型)の診断を受けました。というお話です。

 

いきなりですが、3カ月ほどの検査期間をかけ、

2月3日にADHDの確定診断を受けました。

 

よく聞く、生き辛さとか、めちゃくちゃしんどいとか

幸運(本当に幸運)にもそこまでのことは無かったけど、

 

やはり、他の人が当たり前にやっていることがどうしても上手く出来なかったり、

なんだか人とは違うかも、と思うことが仕事をする上でもたくさんありました。

 

なので、これからの人生のため、巻き込む周りの人たちのためにも、

そういう気質があるよね!だけに留まらず、しっかり検査を受けて知ることから始めようと。

そして、知ってもらうことも始めようと。

 

ADHDって何なの?

そもそもADHDって何なのか?

 

AD(注意欠如)HD(多動)症。

分かりやすく言いえば、劇的に不注意で作業ミスが多く、計画が立てられず時間を守ることが苦手で落ち着きがないやつ。です。

 

ええ、これだけ羅列するとやばいやつですね。

 

もちろん、悪いことばかりではなく、

コミュニケーションが得意だったり、アイデアを豊富に出せたりする、という良い側面もあるようです。

 

※色んなパターンがあるようなので、ADHDの全員が全く同じというわけではありません。

 

 

日常生活は実際どんな感じなのか

 

私の場合、整理整頓が出来ません。忘れ物や失くし物が多いです。時間を守ることが苦手です。

 

目についたところにモノを置いてしまうため、デスクの上には書類がたくさん乱雑に積んであって、お知らせ等の紙は彼方に旅立っていきます。

『あれ!?どこ行ったっけ…』『ケータイどこ置いたんだろう』のオンパレード。

 

ボールペンをめちゃくちゃ失くしては出てきたりして、

同じボールペンを10本くらい持っています。

 

時間も、だいたい10分くらい間に合いません。

(必ず時間前に連絡をして謝るようにしています)

 

電話番号を聞きながら書き取ることが出来ません。

『090-12…、すみませんなんでしたっけ?』ほぼ毎回聞いています。

 

診断を聞いたときは、『ああ、やっぱりそうか。』という納得感が大きかったです。

 

自己認知との乖離

ただ、診断結果的には社会生活上の困難さ・生き辛さをもっと感じていても不思議ではないらしく、自分の認知と少し乖離がありました。

 

こうやって何事もないように生きているなんて呑気に言えるのは、

自分が思っているよりももっともっともっと沢山の周りの支えがあって成り立っているんだと、涙が出るほど痛感しました。

 

こうやって生活できていること自体、全然当たり前なんかじゃなかった

 

いま、自分の特性は仕方のないことだったんだな。なんてあっさり認められるのは、

自分が出来ないことを陰ながら当たり前のようにサポートしてくれているスタッフのお陰で、

 

貴方に出来ないところはスタッフに任せられるようにしよう。

そう根気強く教えて導いてくれた妻のお陰です。

 

きっと日常生活でも、自分が思っている以上に迷惑をかけているのに、

少しでもより私が快適に生活が出来るようにと考え工夫してくれている妻。

 

妻が居なかったら、当たり前に生きる、そんなことも出来なかったと思います。

 

妻やスタッフの皆、そして私たちを選んで一緒に仕事をしたり、遊んでくれる仲間たち。

 

みんな本当にありがとうございます。

 

処理速度能力がポンコツに低い反面、

言語理解がかなり良い(上位17%以上だそうで)傾向にあり、

 

相手の言いたいことを理解したりコミュニケーションが得意ということが客観的に分かったので、

より自信を持って、出来ないことを補って余るほどに加速させて恩返しします。

 

相田紳太郎 第二章の幕開けです。

今後ともよろしくお願いします。

 

 

それでは、ごきげんよう

相田紳太郎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自己肯定感高めなポンコツの原体験

みなさん、こんにちは。

本日も見てくれて、ありがとうございます。

 

今回は自己肯定感高めポンコツの原体験についてお話ししたいと思います。

 

自己肯定感?

自己肯定感を高めましょう

自己肯定感の高め方

 

最近よく耳にする

自己肯定感。

 

ありのままの自分を肯定する、好意的に受け止めることができる感覚

 

明確な定義はないものの、端的にはこんな感じですかね。

 

 

いまでこそ、自己肯定感高めなポンコツですが

 

自分なんて居なくてもいいんじゃないか…

周りと比較してばかりで辛い…

 

もちろん、こんなことを思っていた思春期もありました。

 

 

いま思うと、中2の夏休みの職業体験が、仕事観の原体験となり、

大きな土台になっています。

 

アホのような原動力

当時の相田少年は、とにかくモテたい。目立ちたい。格好よくなりたい。

そればかり。

 

職業体験は、好きな職業に自分でアポを取って交渉するというスタイルだったので、

 

『やっぱ、将来は美容師っしょー!』という理由で、床屋に決めました。

 

相田少年はまだ美容院に行ったことがありませんでしたので、床屋さんです。

 

 

周りの友達は、みんなで1日漁師体験をしに行ったりと楽しそうにやっている中、

相田少年はやりたいことをやってみたいと思い、単身で延べ5日ほど体験させてもらいました。

 

初日は、説明を聞いて見よう見まねでご挨拶から。

 

一日中ホウキを片手に掃き掃除、ひたすらタオルを洗って干して。

 

ふざけて、ちゃんと怒られたりして

 

当初3日の約束が、もう少し働いてみない?と声をかけられ5日になり、

ただただ、一生懸命に取り組んで、楽しんで

 

という間に終わっていました。

 

人生初の労働対価

最終日、タダで使うなんて出来ないくらい働いてくれたからと、

オーナーから5,000円を手渡され、

 

夏休みなんだし好きな髪の色に染めてやると、

相田少年の髪の毛はオレンジ色になりました。

 

 

初めて自分のしたことでお金を稼いだのが、この5,000円でした。

 

学校には内緒だぞと、ポチ袋に折り畳まれた5,000円

キラキラと光るオレンジの髪

 

最高に嬉しかったし、とっても誇らしい気持ちだった。

 

 

全力で取り組めば人のココロも動かせる

男は雇わないって決めてたけど、考え直してみることにしたよ。

ぼそっとオーナーがそう話してくれたのだけど、

 

 

自分の行動で、人の気持ちを変えることがある。

 

こんな素晴らしい体験が、

今の自分の根底にある、原体験。

 

 

皆さんの、原体験は何ですか?

些細なことかもしれないけれど、いまになって考えることで、意味を持つかもしれませんね。

 

 

それでは、ごきげんよう

相田紳太郎

 

 

 

ようこそ2024年。とんでもない年明けに今年は自分から選択したと思える年にする。と誓う

皆さん、こんにちは。

 

本日も見てくれてありがとうございます。

 

 

明けましておめでとうございます。

 

ていうか、12月どこ行った?

ごめんなさい。ポンコツの名に反せず更新していませんでした。

 

 

波乱の年明け

ご存じのとおり、1月1日の元日に石川県能登半島で大きな地震が発生しました。

 

横浜でもゆっくりとぐわんぐわんとした長い揺れを感じ、

東日本大震災の際に似た感覚でした。

 

震災被害だけでなく、津波・火事・雪という大変な状況ですが、

どうにか心を強く保って欲しいと願うばかりです。

 

13年前に感じた無力感

2011年3月11日、東日本大震災

奇しくも司法書士に受かったばかりで、ようやく研修が終わったあたりでした。

 

うぇーーーい!俺は無敵だ!!!!!

鬱屈した受験を終え、合格という讃美に酔いしれて浮足立ったタイミング。

 

 

震災後の津波の映像、何もない平野と化した宅地だった場所。

 

続々と被災地入りする医師・看護師の医療ボランティアを見て

 

ああ、生きるか死ぬかの話を前にしたら、自分にできることなんて1ミリも無いんだな。

 

圧倒的な暴力(災害)の前に、

司法書士はおろか法はなんて無力なのだろうと、

 

心臓をえぐり取られたような衝撃と、

強い無力感に襲われたことをよく覚えています。

 

その夏に、無料法律相談員として被災地にも行きました。

法律相談とはいえ、基本的には高齢者の方のお話相手としてゆっくり話を聞いて過ごしていました。

 

自分で選択した道を進む

あれから13年、まだ司法書士をやっています。

今も変わらず、高齢者の方のお話相手としてゆっくり話を聞いている。

 

司法書士は無力なのだろうか?

 

今はそうは思いません。

 

専門領域ごとに、必要となるタイミングが異なるだけだ。

 

そして、決して派手でなく、地道に人の悩みに耳を傾けて、

持てる知識を精一杯巡らせ、そっと背中を押してあげる。

 

いつか起こる死に備えて、心の中と法律の両方から整えるお手伝いをする。

 

きっとそういう星の下に生まれたのだと思う。

 

 

やり切るには選ぶしかない

私は、ポンコツなりにそうやって、少しでも人に勇気を与える仕事を続けて行きたい。

 

今までは、なんとなく性に合っていて、

人(同業者)より少し器用にこなせるからと勝手に思い込み

やり切ることなく、ここまで来てしまった。

 

やり切るには、自分から選択し、他の選択肢を切り捨てなければなりません。

 

 

今年は、自ら選択した結果として、終活の新規事業に全力で取り組み、

お客様に寄り添い、少しでも多く勇気を与えられるように集中します。

 

 

さようなら、2023年。

ようこそ、2024年。

 

 

それでは、ごきげんよう

相田紳太郎

3年あったら世界は変わる。3年後には葉山に住むことに決めた。

皆さん、こんにちは。

 

本日も見てくれてありがとうございます。

 

 

ポンコツさぼる

すみません、ポンコツなのであっという間に更新が滞っていました。

 

妻に叱られ、おしりを叩かれたので書いています。はい。

大変失礼いたしました。これからも頑張るぞ、と。

 

 

今回は、過去3年間で世界がガラッと変わった話と、

3年後に向けた宣言をしたいと思います。

 

 

いきなりですが、皆さんは3年後どうなっていたいですか?

 

 

3年後を創造する

私は、3年後には葉山に家を建て、海を見ながら妻と犬と生活を送ることに決めました。

目標は人に話すことで実現するしかなくなるので、叶ったも同然です。

 

 

神奈川県でコロナの緊急事態宣言が出されたのが、3年半前。

価値観や常識、生活様式が、たった3年で全く違うものになりましたね。

 

 

4月7日からスタッフを自宅待機にして、

急ぎテレワークの整備、オンラインミーティングの導入。

もちろん緊急事態宣言中は客足も途絶え、

これがずっと続いたらどうなってしまうんだろう…

先の見えない不安もありました。

 

 

『未知のウイルスが世界中に蔓延して、世界が止まる』?

 

『未知のウイルスが世界中に蔓延して、世界が止まる』

 

はあ?馬鹿なこと言ってんじゃないよ。

昔聞いてたら絶対にそう言ってますね。

 

 

あり得ないことが、起こる。

100年に一度とも言われるそれを、オンタイムで経験できたことは奇跡だと思う。

 

 

これから3年後だって、同じように何が起こっても不思議じゃない。

そんなことあり得ない、出来っこない。それはもう通用しない。

 

 

コロナが無かったら、

司法書士はお客さんと直接会うしか方法が無い、

事務所に行って作業をしなければならない、

自由に好きな場所に住むのは引退してから。

 

きっとそんな風に、勝手に自分にブロックをかけていたことでしょう。

 

 

当たり前なんて存在しない。心からそう思えるようになって、

自分たちはどうしていくのか?

シンプルにそれだけを考えれば良いんだと気付き、すごく楽になった。

 

 

だから、私は葉山に住むことにしました。

理由は、海と空気が好きだから。

妻と犬たちと過ごす時間は有限で、’いつか’なんて、やってこないから。

 

 

皆さんは、あり得ないことを起こせるなら、何がしたいですか?

 

この生活様式が当たり前になってしまう前に、

ぜひ、無茶かなと思うくらいのことを創造してみては?

 

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それでは、ごきげんよう

相田紳太郎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ポンコツだけど楽しく生きています。整理整頓と手順通りが出来ない!苦手ばかりの過去バイト編

皆さん、こんにちは。

 

本日も見てくれてありがとうございます。

 

今回は、過去の実話を織り交ぜながら、

苦手なことの方が多い人生だけど比較的うまくいってるな。というお話をしましょう。

 

 

タイトル通り、私は得意なことよりも苦手なことの方が非常に多い人間です。

列挙したら果てしないので、過去のバイト実体験をもとにお話していきます。

 

前提編

今から15、6年くらい前。

横浜のお上品なカフェでアルバイトをしていました。

白シャツに黒いサロンエプロンに憧れ、颯爽と働いていました(自己イメージ)。

 

約1年くらいでしょうか、楽しい思い出が沢山ありますので、

振り返りながらご紹介しましょう。

 

 

整理整頓編

これが一番印象的で、他のバイト仲間ともめちゃくちゃ笑った出来事

 

このお店は手作りケーキが売りでした。

毎日の閉店作業、ケーキやタルト、プリンなどを冷蔵庫にしまいます。

 

この冷蔵庫はスペースも限られていて、重ねたり、ずらしたり工夫が必要。

 

 

私が担当すると、どうやってもケーキが数個入らない。

 

いよいよ困って後輩(女の子)に相談すると、

サササっとケーキをずらしてスポッとキレイに納めて、笑顔でひと言。

 

『足りないのはスペースじゃなくて、相田さんの頭じゃないですか?』

 

 

くそう。君の言う通り今も収納がとっても苦手です。助けて。

 

 

正しい手順編

コーヒーや紅茶でもたくさんの種類を扱っていたため

全ての作り方を覚えて提供するのが当然の職責です。

 

ええ、覚えられません。すみません。

 

容赦なく流れてくる伝票、テンパる私。

助けに入る同僚たち。

 

そこから要となる司令塔ポジションに入ることは一度もありませんでした。

 

今でもテンパった状況での作業は苦手。助けて。

 

 

番外編

相田君がお店に立つと、居酒屋の呼び込みみたいになるよね。

 

それ、元気があって良いって誉め言葉で合ってますよね?助けて。

 

 

 

印象深いエピソードをご紹介しましたが、

本当にもっと沢山色んなことがあって楽しいバイトでした

 

 

苦手なことがたくさんあって、上手くできないことも多かったけど、

お客さんとの接客は楽しかったし、褒められることもいっぱいあった。

 

 

辞めた後も飲み会に誘ってくれたり、

司法書士になってからも、お店の役員変更のことで相談してもらえたり

 

 

苦手なことはたくさんあっても大丈夫。

その場を明るくできるキャラクターと人懐っこさに、素直さが私を支えている。

 

 

出来なかったら、出来る人に助けてもらいましょう。

助けを当たり前と思わず、毎回感謝しましょう。

出来ることで精一杯お返ししていきましょう。

 

 

皆さんも、人には言ってないけど苦手なことって結構ありませんか?

 

完璧じゃなくたって、楽しく生きていくには十分ですよね。

少しでもそう思える足しになったら嬉しいです。

 

 

それでは、ごきげんよう

相田紳太郎

 

 

 

 

 

一家創立。まるでヤクザ映画?戸籍用語を紹介します。

皆さん、こんにちは。

 

今日も見ていただき、ありがとうございます。

 

今回は、あまり触れる機会のない戸籍用語について、

すこーし役立つ豆知識をお話しします。

 

 

日本の戸籍制度って、

世界的に見てもとても優秀で信頼性が高いって知ってました?

 

100年以上昔の情報だって、几帳面にきちんと記録されています。

 

独特の用語が沢山

昭和初期の昔の民法(旧民法)時代には、

あまり聞き馴染みのない単語が盛りだくさん

 

 

今日は、そこから少しご紹介!

 

 

☆一家創立(いっかそうりつ)

☆分家(ぶんけ)

 

共に新たに家(もちろん建物ではなく、家族というイメージ)を設立することを指す

分家は自らの意志で行うのに対し、

一家創立は法定の原因によって勝手に行われる。という違い

 

一家(いっか)とか言われると、ヤクザかよ。と思いますが、

もともとは戸籍の家制度から由来しているんですねえ。

 

 

☆廃家(はいけ)

☆絶家(ぜっけ)

共に、家が無くなることを指す

廃家は戸主(リーダーみたいな感じの人)の意志で家をやめる(みんなで他の家に入る)のに対して、

絶家は相続人がいなかったりという事情で家が途絶えてしまう。という違い

 

 

☆入夫婚姻(にゅうふこんいん)

☆婿養子縁組(むこようしえんぐみ)

共に、夫が妻側の戸籍に入ることを指す

入夫婚姻は女戸主(一家のリーダーが女性の場合)と結婚して夫が入籍するのに対し、

婿養子縁組は女戸主以外の女性と結婚して夫が入籍する(同時に妻の親と養子縁組を行う)。という違いがある

 

 

どうでしたでしょうか?

私は勝手に江戸時代くらいを連想しています。

 

 

戸籍制度のデメリット

そんな戸籍制度ですが、

情報のストックとしてはとても素晴らしい反面、

氏(苗字)をひとつしか選べないという弊害があるのも事実です

 

 

ストック情報をデータ化して戸籍制度を刷新すれば、

あっという間に夫婦別姓も叶うのになあ、と。

 

夫婦同姓なのは世界的の先進国で日本だけって知ってました?

 

夫婦別姓、結合姓、同姓も自ら選択出来たら良いですよね。

 

どうも保坂相田紳太郎です。とかね。

 

 

皆さんは、もし選択出来たらどの名を名乗りますか?

手軽にそんなことから考えてみるのも面白いかもしれませんね!

 

 

それでは、ごきげんよう

保坂相田紳太郎